
逗子市沼間の新居からも、相変わらず長野県東筑摩郡麻績村のログハウスに通うこととなった。新居完成後間もない1998年6月のこと。私は関東平野の梅雨の蒸し暑さを嫌って、休暇を取りログハウスに避難していた。そこで2冊の本を読んだ。たまたま2冊とも八ヶ岳の山麓に暮らす人達のノンフィクションものだった。
普段は麻績村のログハウスに行くと、もっと北に行きたくなり、北信ばかりをドライブしていた。しかしその2冊の本に影響されて、たまには南下して八ヶ岳に寄ってみようと思いたち、しばし八ヶ岳山麓のドライブを楽しんでみた。行ってみて思った。別荘地としては麻績村よりは八ヶ岳山麓の方が圧倒的に優れていた。日本にあるのは木が鬱蒼と茂る山か、家や工場やビルが立ち並ぶ平地ばかりで、「森」というイメージの場所はほとんどない。麻績村の聖高原は「ただの山」だった。一方、八ヶ岳山麓には「森」があった。八ヶ岳山麓では別荘地の分譲も多かった。バブル経済末期に麻績村の土地を買った頃と比べれば、八ヶ岳山麓でも別荘地の価格は大きく下落して買いやすくなっていた。
そんな実情を知るとすぐに別荘の買い替えを実行したくなるのが、私の性格である。別荘も含め4軒目の家、自宅としては3軒目の家を建てたばかりだと言うのに、早くも別荘の買い替えを決断した。主に蓼科から、清里にかけての西麓、南麓を周って、土地探しを試みた。ここから先はそれぞれの人の好みになるが、私は西麓の原村(長野県諏訪郡原村)の雄大な景色(↑の画像)が気に入った。農家が畑のあぜ道にも花を溢れんばかりに植えているのも気に入った。小さいがしゃれたお店が多いのも良かった。田舎でありながら、典型的な日本の田舎らしくない景色。敢えて言えばどこか欧州カントリーサイドの牧歌的田園風景とも言おうか。そんな原村の景色に惹かれたのである。