家@鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

食べ物、飲み物、ワンコ、鎌倉特に七里ガ浜地区(七里ガ浜東と七里ガ浜)の話と八ヶ岳西麓(特に長野県諏訪郡原村)の話が多い、極めて退屈なブログ

家の遍歴

「野生のエルザ」な生活

「野生のエルザ」のお話をご存じだろうか。ジョイ・アダムソンが半世紀ほど前に書いた作品で、数年後にはヴァージニア・マッケンナやビル・トラヴァーズが主演して映画化された。ケニアの乾いた風景や動物と人間との交流を楽しめるけれど、最後の方に行くに…

7軒の家(23)鎌倉市

7軒の家の話もこれで終わりである。我ながらよく続いたものと思う。 さて、建物だけでなく、外構も考えねばならない。私はレンガが大好きなのである。せめて外構にはレンガを多用しようと考えた。門の前にある2段の階段と、門柱、そして玄関ポーチへと続く…

7軒の家(22)鎌倉市

またもやブレイスの丸山さんとの共同作業が始まった。土地を買った時点ではもうおおよそプランは出来ていた。七里ガ浜の土地を買う前に、いくつも買いそうになった土地があり、そこに建てる家をあれこれ考え、ラフな図面がすでにあったのだ。買ったばかりの…

7軒の家(21)鎌倉市

逗子市沼間に住み、八ヶ岳西麓の山荘に通い、山荘に行った時には、同じく八ヶ岳西麓に住む両親の家に立ち寄るという生活が続いた。その後転職をすることがあり、その退職金で両親の家の残債を返済してしまったので、経済的にはグンと身軽になった。それ以後…

7軒の家(20)両親の家

両親の家の計画は順調に進んだ。ブレイスの丸山さんとは2軒目の共同作業だ。話はかなり簡単である。私は信頼して相談出来たし、丸山さんも私の好みを把握していただろう(と思う)。 在来木造軸組構法で作った。建坪50坪で、老人二人が住むには十分な広さで…

7軒の家(19)両親の家

神奈川県逗子市小坪(自宅)⇒長野県東筑摩郡麻績村(山荘)⇒神奈川県津久井郡相模湖町(自宅)⇒神奈川県逗子市沼間(自宅)⇒長野県諏訪郡原村(山荘)と私は5軒の家を建てて来た。今度は私にとって6軒目の家で、両親の家の話である。 両親が新しい家に移り…

7軒の家(18)八ヶ岳西麓

ブレイスの丸山さんとの楽しいプランニング作業が続いた。自分としてはなんとしても実現したい部分と、コストダウンのためにここは譲ってもよいという部分があった。そして自分が支払えるギリギリのところに、価格を持って行く作業が続いた。 丸山さんは私の…

7軒の家(17)八ヶ岳西麓

順序が逆になった。勝手な都合により資金計画の話は前回のところで書いた。それより先に、私は丸山さんと八ヶ岳西麓の山荘について、プランを練り始めていたのだ(画像はその山荘ではない。私の両親の家の作成途中の平面図だ)。私にとっては逗子市小坪(自…

7軒の家(16)八ヶ岳西麓

今回はあるメガバンクからお金を借りる話である。結局、私は八ヶ岳西麓に新たに建てる山荘を、ブレイスの丸山さんに建ててもらうことに決めたのだった。そしていつも私についてまわるのが資金繰りの問題だ。ローンを利用する場合、普通は【家のプランの相談…

7軒の家(15)八ヶ岳西麓

原村の標高1600mにある大手ディベロッパーの分譲地の土地を予約したが、それはまだ私の物にはなっていなかった。私にお金がないからだ。まず土地だけを所有し、そこに遠い将来建てるであろう家のことを時間をかけて想像する、などという方法を、私はとらない…

7軒の家(14)八ヶ岳西麓

長野県諏訪郡原村の標高1600mにある土地を、私は新たな山荘を建てる場所として選んだ。以下が私の土地選びのポイントとなったと思う。 ①標高が高いこと その時点ですでに所有していた一軒目の山荘は、長野県東筑摩郡麻績村の標高1000mあたりにあった。東京に…

7軒の家(13)八ヶ岳西麓

逗子市沼間の新居からも、相変わらず長野県東筑摩郡麻績村のログハウスに通うこととなった。新居完成後間もない1998年6月のこと。私は関東平野の梅雨の蒸し暑さを嫌って、休暇を取りログハウスに避難していた。そこで2冊の本を読んだ。たまたま2冊とも八ヶ岳…

7軒の家(12)逗子市沼間

先日コメントを下さった青葉さん、「念ずれば通ず」でがんばって下さい。コメント有難うざいました。 さて相模湖の家が売れたので、私は逗子市沼間の家の建築に取り掛かった。近くに仮住まいをしたので、新しい家の工事の進行具合を逐一見ることが出来た。近…

7軒の家(11)相模湖から再び逗子へ

(画像は再び妻のフラワー・アレンジメント) ある不動産屋さんにお願いし、相模湖の家を1996年の3月から売り出し始めた。ところが半年経っても売れず、同年の秋になってしまったのである。ほとんど家を見に来る人もいなかった。新しい土地を逗子に買ったと…

7軒の家(10)相模湖から再び逗子へ

(この画像もまた妻の作品。渾身のフラワー・アレンジメント!) 相模湖の家が売れたら、新たに仕入れた逗子市沼間の土地に家を建てようと思った。さっそく横浜のいわゆる「輸入住宅」屋さんとコンタクトをとり、「相模湖の家が売れたらお宅で家を建てるから…

7軒の家(9)相模湖から再び逗子へ

(画像はフラワーアレンジメント 妻の作品) さあ引っ越そう、カラオケ・スナックから逃れようとは思ったものの、簡単ではなかった。1996年はもはや自分の家を売ろうにもなかなか売れない時代なのだ。土地は日本中で下がり続けていた。前回の買い替え(逗子…

7軒の家(8)相模湖町

小高い丘の上。周囲を見渡せば畑と穏やかな山々が続く牧歌的な風景。我が家はそんなところにあるミニ開発の宅地にあった。周囲には我が家の土地と同じような面積の土地区画が並んでいた。畑が宅地になり同時期に売り出され、売れた区画から家が建ち上がって…

7軒の家(7)相模湖町

相模湖町寸沢嵐に購入した土地は50坪弱。相模湖まで行ったわりには、たいして広くはない。下水はなく、浄化槽を設置するようなところだった。畑を住宅地に変えただけのところで、そこに7区画の土地が誕生し、分譲された。ここもまた建築条件付きの土地だっ…

7軒の家(6)相模湖町

信州麻績村のログ・ハウスに通うのは楽しかった。何せ遠いので時間もかかり、移動する時間帯によってはものすごい渋滞に巻き込まれたので、行き来はかなり体力を使った。生まれて初めて買った四輪駆動の車、パジェロのショートワゴン。もともとはアウトドア…

7軒の家(5)麻績村

(画像は八ヶ岳西麓のモミジ) ログ・ハウスからはいろいろと教えられることが多かった。前回書いた輸入部材もそうだが、木について学ぶことが多かった。学ぶというよりも、ログ・ハウスを所有したことで、木について強い関心を持つようになったと言うべきか…

7軒の家(4)麻績村

麻績村に土地を買う作業と同時に、建物を建ててくれるビルダー探しが始まった。どんな建物にするかでずいぶん悩んだが、当時爆発的ブームを迎えつつあったハンド・カットのログハウスに決めた。直径30cmくらいあるダグラスファー(米松)の皮を剥き、横倒し…

7軒の家(3)麻績村

(見えにくいが、画像は逗子市小坪の地図) 私はなるべく都会から離れて家を構えたかったのだ。1988年に海外から東京に戻った時、東京駅からどの方向に何10km行っても延々とごちゃごちゃした風景が続くことに嫌気がした。しかしながら東京にある会社に勤務す…

7軒の家(2)逗子市小坪

逗子市小坪の明るい住宅地に、木造軸組構法(在来構法)のなんともローコストの家が建った。しかしそれが建つまでにはいろいろと苦労があった。苦労は、私にお金がなかったという単純でつらい事実に、多くは起因していた。お金のない(つまり信用力がない)…

7軒の家(1)逗子市小坪

私は今までに7軒の家を建てた。自分でなんと計画性のない人間なんだろうと反省する。初めて土地を買い、家を建てたのは29歳の時だった。住所は逗子市小坪。逗子の西の端で、漁港があり、有名な(?)逗子マリーナもある(画像は逗子マリーナ)。 何もわから…